昨年末に出会った、スーパー銭湯で働くおじさんとの交流は、
年を越えても続いている。
先日は近くの立ち飲み屋で飲んだ後、
おじさんの家へお邪魔することになった。
風呂のない家具のない、
畳の上には乱雑に置かれた物たちと、
趣味で描いている写経の半紙たちが散らかっている部屋。
僕の座る、おじさんの座る隙間もなく、
無理やり作ったスペースで、買ってきたチューハイで乾杯をした。
僕とおじさんがウマが合うのは、
きっと僕と同じところがあるからだろう。
そして僕の生きる片方の矢印が
普通に仕事を続け普通の結婚をし生きていく事だとしたら、
もう片方の矢印にはおじさんの生活があるように思える。
それがある人は悪いと言うかもしれないが、
僕はそうは思わない。
言葉で表すのは簡単なことだが…